今までのシシの演舞を振り返れば、まだ冬の雪のある環境で実施した経験はない。2月、寒い季節に雪の多い秋田県でシシを作ってみたら、どのような形態が生まれるだろうか?ということに興味が湧いた。メンバーの一員である船山さんが持っている空き家もあり、滞在コストが安く済ませられるということで、秋田県能代市での滞在が決まった。
結果的には、当初想定していたような雪は実際には見られなかったが、今まで作ったことのない港を起点とした、風をテーマにしたシシの制作ができた。
リサーチを通じて、まず能代市の港を拠点として、風と向き合うようなシシを作ろうと考えた。メンバー3人とも、今回の制作は風をテーマとしている。その中で僕はバスケの要素をシシに追加した。
バスケットボールをつく行為は、民俗芸能に見られる反閇(へんばい)の所作や、お相撲さんが四股を踏むのと同じような意味があると直感した。つまり大地に対して踏み込んだり、打ち付けたりする所作は、大地の精霊を鎮める行為であり、獅子舞とも似たある種の厄祓い行為とも言える。
そして僕自身、土地を理解するときに歩くことを大事にしてきた。足裏によって地面に踏み込むことは「土地を記憶すること」と結びついている。バスケットボールをつく行為は、第3の足の存在によって土地を記憶しようという個人的な試みでもある。
僕がシシの姿で舞い歩いている時、工藤さんは岬で砂を米袋に入れて、能代駅付近まで行って帰ってくるという、砂を運ぶパフォーマンスを展開していた。自分と同じ体重の砂袋を背負い、小さな穴から砂が少しずつ溢れ出ていくような仕掛けを取り入れた。これは自分自身を風に見立てたものであり、風が砂を運ぶ様子を表現しているという。最後のシシの葬儀の時には、シシにバスケットボールを投げられるという絡みがあった。
また、船山さんは木の棒に海岸で拾った漂流物の網を取り付けて、ヒュンヒュンと鳴る楽器を制作した。衣装は漁師や職人が身に纏うような、オーバーオールを着た。最後のシシの葬儀の時に岬付近で、この楽器に加えて笛を吹きながら、稲村のシシとのセッションも行なった。
今回の舞い歩きを通じて、バスケットボールを地面に打ち付けることで厄を祓うとともに、土地を理解するという手法が確立できた。これは道端に見える風景に対して、ツッコミを入れるという感覚にも近い。坂道、雪、でこぼこの未舗装の道、音が反響するトンネル、柔らかい砂浜、どれもボールを打ち付けた感覚が記憶として蘇ってくる。
ボールを打ち付けるということは土地を理解するとともに、怒りの表現でもあった。なぜ風はこんなに強く迫り来るのだろう?道端に存在する禁止看板がやたらと多すぎはしないだろうか?などの疑問とともに、ボールを打ち付けることもあった。つまり、これはシシの厄祓い感覚にも近い。
ボールを打ち付けることは果たしてシシ的な行為なのか。今回のシシづくりでは、メンバーそれぞれが、三者三様のシシを作った。それは獅子舞でもお囃子でもない何かとも言える。獅子舞は想像上の生き物であり、土地によって姿形が変化していくものだ。それぞれの舞い歩きの開始地点が違っても良い。土地に対して素直に向き合った結果として、さまざまなしがらみから解き放たれた現代的なシシを改めて見ることができた。
また、5時間の長時間演舞によって、トランス状態になるにはやはり練り歩きが有効なことがわかった。これは環境によって操られてこそ、土地性を取り込んだ身体に近づけるのではないかという予測のもとで実施された。より直線的な道は無駄な思考が排除されて、トランス状態に近づきやすいようにも思われた。一方で複雑な作りをした港付近は、どこをどう動こうという自意識が先に立つこともあった。
その場その場で、常に最適なパフォーマンスを繰り出せるわけではないから、長時間演舞によって引き出しを増やし、そして最適を探るという感覚は土地の真理に接続するための重要な手法であったように思われる。