今回は岩手県遠野市が舞台だ。遠野といえば、柳田國男の『遠野物語』が生まれた場所であり、河童などの妖怪がうごめく土地でもある。
獅子の歯ブラシは2022年11月7日から12日の6日間、しし踊りをはじめとした郷土芸能の練習に混ざりながら、獅子舞を創作した。遠野市小友町の「みんなの父上」の家を拠点に制作し、美味しい食事もいただけてとても充実した滞在となった。
遠野には既存の郷土芸能としてしし踊りや、神楽の権現舞が存在する。すでに獅子舞に近い芸能が存在する土地において、新しく創作する獅子舞はどのようであるべきか?既存の獅子舞の盲点を提示する新しい獅子舞を制作すると共に、その新しい獅子舞が土地を見抜くということが大事だと思う。
元々、農耕社会に突入する前、縄文時代は特に鹿は害獣ではなく感謝すべき食料であったはずだ。つまり、オフェンス的な考え方で、積極的にそれを狩っていたわけだ。しかし、遠野では農耕社会に突入してから、鹿は害獣として駆除の対象に切り替わった。つまりデフェンスの考え方で、田畑を守るために消極的にそれを狩り始めたのだ。今や鹿などを供養する鳥獣慰霊碑は、田畑の豊穣のために食べもせずただ殺されて埋められた鹿を供養する形式的なシンボルとなっている。
変化の著しい狩猟の考え方が取り込まれてきた「しし踊り」という芸能は、剣舞やら神楽などにも影響を受けて、舞い方の由来をトレースすることが難しくなりつつある。つまり、狩猟だけでなく芸能も型が残るのみで、形式的に伝統として脈々と受け継がれているというわけだ。そのような中で、私たちが今回創作した獅子舞は、滞在中に幾度となく出会った鹿の視点を借りようと考えた。
つまり、遠野での獅子舞生息可能性とは、鹿の生息可能性のことだと思ったわけだ。鹿という野生がどこまで遠野の土地を占拠しうるだろうか?どこまで縄文の残り香は残っているのか?そのようなことを考えながら、鹿の生息領域を展開する獅子舞を制作したのだ。
稲村は宮沢賢治の「鹿踊りのはじまり」に描かれているススキが、鹿の登場の描写に登場するのに加えて印象的な素材であったことから、これを使用して獅子舞を創作した。工藤さんは鹿と対峙する人間を白い幕と笠を使って表現し、船山さんは木の枝や葉っぱを身にまとい山の神のような「木琴マン」として音を奏でた。演舞は僕が鹿の骨を突き立てるまでを一連の流れとして、鹿を葬儀するという内容の演舞を各所で行った。
この獅子舞を創作して実際に小友町のエリア3箇所で実験的に舞うことができた。今回の獅子舞の構成は五城目編の時と似ているものの、あの時のように練り歩きはしなかった。渋谷編の時と同様に一時的に場所を占拠して舞う形となったのだ。また、その動きには鹿の動作を取り入れるなど、新しい試みもできた。今回は一回の滞在として完結させず、遠野市の他のエリアでの舞いは次回への課題として残す形となった。今後、遠野の獅子舞生息可能性をじっくりと考えていきたい。
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