今回の獅子舞は、まず新しい挑戦として、獅子の歯ブラシの他のメンバーが来れなかった分、一人で獅子舞を創作することとなった。獅子頭、胴体、楽器まで、一人で何度もやり直しながら作った。獅子舞の演舞では、舞うのと同時に獅子につけられたお囃子(竹)が音を奏でるという連動性があり、「獅子が動けば音も鳴る」という形態の獅子となった。音は鳴らそうとして鳴らすのではなく、神山という自然とそこに接続しようとする自分の身体との間で、自然に鳴るものなのだ。
この獅子舞の形態は「何でも自分で作れる」農家の克典さんをはじめ、食べ物の美味しい調理方法を知っていたり、竹の伐採をスムーズにこなせたりする神山町の住民たちの自然資源との向き合い方と重なるところがある。食べ物はスーパーに売られている表層しか見えてこない「商品」が全てではなくて、お米ひとつとっても、収穫、脱穀、乾燥、精米と様々な工程を踏んで、食べられるお米になっていることを肌で感じた。あれほど広大な田んぼで、とれるお米はこれだけなのか!と驚いたものだ。自分自身、農家さんのお手伝いと獅子づくりの両立をしたことによって、「1から何かを作ることができる人」として生きる力が少しは身についた気がする。土地の暮らしから湧き上がる獅子を創造する意味でも、新しいアプローチを生み出すことができたと言えるだろう。
神山町での演舞時間は前半、後半合わせて合計2時間ちょっとだった。獅子頭の重量が少し重かったのと、裸足で歩いて土地を感じていたためその分砂利道が歩きずらくて長い時間の演舞は難しかった。一軒一軒、門付けをして見知らぬ家々を回っていると、どうしても喜んでくれるもんだから、張り切って「こういう動きもしてみようかな」などと新しい舞い方を開発していった。後半になるにつれて、演舞の流れの型ができてきて、見るものを退屈させないものになっていったのだ。ひとまず、人と人との直接的なコミュニケーションがはかれる時点で、かなり獅子舞生息可能性は高かったと言えるだろう。
一方で、人を意識することが多かった分、自分の意識が薄れ環境に操られるというトランス状態になることは少なかった。最初と最後の田んぼでの演舞くらいだったと言えるだろう。神山の特徴は世話を焼いてくれたり、温かく見守ってくれたりする人の視線に支えられてこそ生きられる世界だ。救急車が走っていれば、「誰が運ばれたのかな?」と皆で話す場面もあり、その時のことは強く印象に残っている。
東京との比較の中で、圧倒的田舎を味わえた神山町での滞在だった。ITサテライトをはじめ、創造的過疎の最先端を行く神山町が、未来の暮らしのあり方を考える重要な場所であることも十分に感じられた。今回、100BANCHには交通費や滞在費などの金銭サポートや、地域の方々の紹介など、作品制作に多大なサポートをしていただき本当に感謝である。また、獅子舞を温かく見守っていただいた地域の方々にも本当にお世話になった。今後は、神山を舞台にさらなる獅子舞のリサーチや、獅子舞の創作のブラッシュアップなど、様々な可能性を探っていきたい。